「あの楽器」――いまここ。 野尻抱介  話は少々さかのぼるのだが。2007年9月、VOCALOID2「初音ミク」が発売され、動画サイト・ニコニコ動画にUGC文化が開花した。初音ミクを使った作品は権利フリーの素材として自由に加工され、派生作品の連鎖を生んだ。一か月と経たずに動画モデルや支援ツールが開発され、無償提供された。そこは間違いなく、クリエイターのユートピアだった。  そして2007年12月17日、「みくみくJASRAC事件」が発生する。当時再生数ナンバーワンだった初音ミク使用曲『みくみくにしてあげる』がJASRACに音楽著作権を信託していたことが公になったのだった。この曲を素材として使用していた500点を超す派生作品は違法コンテンツになるのだろうか? ネットは紛糾し、『みくみく』動画は批判・荒らしコメントの洪水になった。私の認識ではこの事件の関係者に悪者はいない。旧来の音楽産業とUGCの間を円滑に結ぶ仕組みがなかっただけのことだ。  二日後、kazuPの『Innocence』がニコニコ動画で発表される。初音ミクの立場を借りて、現実世界における権利問題の混沌を嘆いた歌だ。  この歌に共鳴した映像クリエイター、kellow氏は『Innocence 3DPV』の製作に着手する。原曲の発表からほぼ一年後の2008年12月8日、その動画は発表された。全編精緻な3D-CGで作られており、数あるPVの頂点に立つ作品として賞賛を集めた。  「あの楽器」はこのPVの中で生まれた。CGの初音ミクが、見たこともない楽器を奏でているのだ。ショルダーキーボードのようなフォルムで、鍵盤のかわりに大きなタッチパネルとディスプレイがついている。表面に指を滑らせるとさまざまな幾何学模様が現れる。サウンドトラックには原曲が流れているだけなので、楽器からどんな音が出ているのかはわからない。  kellow氏はこれを、モモーイこと桃井はるこのステージにインスパイアされたという。氏はモモーイの熱心なファンで、ミクの振り付けや背景にもそれを盛り込んでいる。また、楽器の筐体部分はヤマハの試作キーボードKX3がベースになった。  「あの楽器」は実にかっこよかった。未来的なデザイン、想像力を喚起する視覚効果、バーチャルアイドルとの組み合わせも最高だった。  ニコニコ技術部員――ニコニコ動画で活動するMakerたち――もこれに魅了された。PV公開から二日経過した時点で、私の知る限り二人の技術部員が「あの楽器」の製作にとりかかっていた。笹尾和宏氏(ミクミンP)とakira_you氏である。  最大の難関は推定65cm×15cmの巨大なディスプレイとタッチパネルだった。笹尾氏は超小型プロジェクターによるリヤプロジェクション、および赤外線カメラによるタッチセンサを取り入れていた。akira_you氏は透明な抵抗膜を使ったタッチセンサを試作していた。  2008年12月24日、ニコニコ動画に『ニコニコ技術部へのお願い・これ作って!』がUPされる。この動画が訴えるのは、タイトル通り「ニコニコ技術部の皆さん、どうかあの3DPVに登場する謎の楽器を作ってください」ということだった。  ニコニコ動画は早さ勝負の世界である。5時間後に最初の反応が動画としてUPされた。これはいわゆるネタ動画で、「あの楽器」模型を置いた下にニンテンドーDSが隠してあるというものだった。  その35分後、笹尾氏が製作途中の作品を紹介した動画がUPされた。この日以降、連日「あの楽器」製作動画が発表されることになる。  ニコニコ技術部には「他人のしていないことをする」という文化がある。二週間と経たないうちに以下のようなパターンが出現した。 (1) 原寸大モデル。 (2) 縮小モデル。 (3) iPhoneやニンテンドーDS、パソコン上など既存ハード上で動くソフトウェア。 (4) AR(オーギュメンテッド・リアリティ)による仮想的な実装。 (5) フィギュアに持たせる「あの楽器」模型。 (6) 3D-CG用モデル、CAD図面等。  まじめに作ると横長のディスプレイとタッチパッド、視覚エフェクトの描画エンジン、音源、アンプ、電源、筐体が必要にになる。タッチパッドはできればマルチタッチがいいが、デザイン次第でシングルタッチでもいけるだろう。  楽器の分類としては鍵盤型、ギター型、ドラム型、ループシーケンサー型、およびその複合が考えられる。もとがショルダーキーボードだから、鍵盤型にまとめる人が多い。だが単なる鍵盤とするには、タッチパッドは使いにくいだけだ。未来にあの楽器が実在するとすれば、それを補うなにかがあるにちがいない。  見た目に一目惚れしたのだから、見た目さえできればいいじゃないか、という考え方もある。ニコ技的にはまったく正しい態度なので、何種類かある初音ミクのフィギュア用に合わせた「あの楽器」が製作されている。チューインガムほどの寸法の中にLEDやELディスプレイを組み込み、音楽を入力するとレベルメーターとして機能するものもある。  明けて2009年1月11日、名古屋で最初のミーティングが開催された。告知から正味4日しか経っていないにもかかわらず、38人が集まった。電子工学の技術者だけでなく、CG作家、ギタリスト、ビデオ・ジョッキー、シンセサイザー・プログラマなど、多様な顔ぶれが集まった。  ここで注目されたのは髭伯爵氏による「あの楽器」への要求仕様だった。「(誰でも簡単に弾けるのではなく)演奏スキルを要すること」「パフォーマンスできること」「実体があって夜ごとスリスリできること」。  PV作品が起点であるため、「あの楽器」制作者たちの多くは見た目優先のアプローチを取ってきた。まず外観があり、ディスプレイに触れると幾何学模様が現れることが必要だった。髭伯爵のアピールはそこに楽器本来のあり方を問うことになった。  技術面では各種のタッチセンサ、パチスロ機に使われている横長LCD、楽器に組み込めそうな超小型PCマザーボードなどが紹介された。  「あの楽器」のハードウェアとは要するに巨大iPhoneであり、パソコンそのものである。ただしマルチタスクOSで動くパソコンは高速応答が苦手だ。演奏操作から音の出力まで10ミリ秒以内に収めることが望ましい。  2月1日、東京お茶の水で第二回ミーティングが開催され、100人以上が集まった。GHK氏によるクロマチック・キーボードの紹介、たろう氏によるギター型「あの楽器」が発表されるなど、オブジェではなく楽器としての洞察がみられた。ギター型の場合、ネック部分に多くのスイッチが並び、タッチパネル部分はもっぱら叩くだけ、というインターフェースだ。  また、rerofumi氏より「あの楽器」オープン開発の提案があった。現状ではハード、ソフトの両方に秀でた「すごい人」しか手出しできない。しかし装置をいくつかのモジュールに分けて、モジュール間のプロトコルを決めておけば一人で全部作らなくてすむ。  この提案はまことに理にかなっているが、現状ではいまだプロトコルの統一に至っていない。たぶん、「成功した演奏例」が少ないからだと思う。パソコンでいうなら、キー入力、画面表示、ファイル読み書きが曲がりなりにもできれば一安心で、それを叩き台にしてシステム設計ができる。  だが「あの楽器」は技術屋が寄ってたかって作り始めたので、いまだ楽器としてのデザインが見えていない。入力がマルチタッチかシングルタッチかで演奏スタイルが根本的に変わってしまうなど、共通化しにくい部分もある。  また、オープンソース・ハードウェアにつきまとう問題として、ハードウェアの再現が難しいこともある。回路がワンオフの試作品であるうちは共有できず、結局全部自作せざるを得なくなる。  比較的利用されているのはJAVAベースのソフトウェア「AnoJ」だろうか。JAVAのマルチプラットホーム対応が効を奏した形だ。  音楽として楽しめるレベルの演奏に成功したのは、iPhoneベースのアプリ『ouiLead』(ウイリード)だろう。iPhoneはマルチタッチのインターフェースを持っており、あの楽器の縮小模型と言ってもよい。このプラットホームを利用して、初期から手のひらサイズの「あの楽器」が作られてきた。ouiLeadは指の接触面積の変化をとらえてピッチベンドやビブラートがかかる。鍵盤型だがトランペットやサキソフォンのような味わいの演奏ができる。  そして2月20日、芸者東京エンターテインメントが独自のiアプリ「あのがっき」を突然発売した。値段は115円で、会社側は「これはネタ課金。有償販売したらどうなるか実験してみたい」「作者に連絡がつかなかったので無断で商品化した。利益が出たら作者やニコニコ技術部に寄付したい」と述べたが、ネットでは反発の声が大きか。  この反応は「みくみくJASRAC事件」に通じるものがある。それまで自由に利用されていたものに、少額でも金銭の流れができると途端に大もめになるのだ。私は興味深い実験だと思ったが、結果は失敗ということだろう。  この騒動以後、「あの楽器」iアプリは無償配布しなければならない空気になってしまった。原作者のkellow氏はこれを望まず、「あの楽器」は無断で自由に製作・頒布してかまわない旨をネット上で宣言した。もとより権利を主張できる立場にはないので、「お願い」という形になった。法的な意味はなく、みんながニコニコする状況を願ってのことだ。  2月、NHK-BSのネット文化紹介番組『ザ・ネット☆スター』では「あの楽器」特集の制作を進めていた。商品化騒動も取り上げ、UGCとその収益化というテーマに向き合う内容だった。  この番組に私はコメンテーターとして出演した。また、笹尾氏が制作者の一人として紹介され、スタジオに実機を持ち込んだ。それは仮組み状態ながら、初の原寸大で演奏可能な「あの楽器」だった。  このときのゲストが奇しくもモモーイで、「あの楽器」を演奏する場面があった。前述のとおり、原作者のkellow氏はモモーイからのインスパイアされて「あの楽器」をデザインした。それがめぐりめぐって実機が作られ、モモーイ本人が演奏したのだから、これは現代の奇跡と言っていいだろう。  3月21日、京都西院の春日神社境内でニコニコ技術部の勉強会が開催された。このときも多数の「あの楽器」が集まった。会場を提供した宮司さんが大乗り気で、自らプロデュースして原寸大「あの楽器」を作らせた。いわゆる「春日モデル」である。電子回路を作ったのはakira_you氏で、ボディは顔の利く業者に頼んで発泡ウレタンから切り出した。さらに知り合いのモデル嬢に初音ミクのコスプレをさせ、「あの楽器」のステージショーまで実現した。実に素晴らしい宮司さんである。さすが千年の時間スケールで地域文化の拠点となってきただけのことはあるものだ。  この頃、笹尾氏は、楽器メーカーで電子楽器の開発をしてきた人物と連絡をとりあっていた。彼は社名を伏せ、あくまで私人としてならミーティングに参加できるという。  4月12日、そうして実現したのが浜松ミーティングである。参加者は総勢60名ほどで、複数の楽器メーカーから少なくとも8人が参加していた。  我々はこのとき、“社員のひと”にひれ伏す覚悟でいた。笹尾モデル、春日モデルという原寸大モデルが完成に至ってはいるものの、それはあくまで「触れば音と模様が出る」段階であって、本物の楽器には程遠い。  そこへ一流楽器メーカーの社員が現れて、「お前ら、一朝一夕に新楽器が作れるなんて思うなよ。プロの本気を見せてやろう!」と宣告し、居並ぶ工作物をメッタ斬りにする。悔しいけど、それで現状が打開できるならいいじゃないか――我々はそう思っていた。  だが我々は、別の意味で甘かった。 「私たちも、模索中なんです」  これが、“社員のひと”の言だった。そしてこれまでに試みた楽器開発の、成功と失敗の歴史が語られた。  電子楽器は自由に音を作れるのに、結局鍵盤楽器になってしまった。シンセサイザーの産みの親、ロバート・モーグ博士は「鍵盤をつけたのは最大の失敗だった」という言葉を残している。もちろん実際には鍵盤があったゆえに成功したのだが、この逆説にはひとつの真理がある。自由ならいいというものではないのだ。  表現したい音楽と、楽器を作る技術を持ちあわせたスーパーマンによってのみ、新しい楽器は作られてきた。  音楽は楽器なしに存在できない。楽器は音楽なしに存在できない。「あの楽器」で演奏されるべき曲、表現、ジャンル、スタイルが必要である。  スーパーマンでない者がやるとしたら――その答えは音楽クリエイターとエンジニアの密接なコラボである。  “社員のひと”は言った。「あの楽器」にひとつ期待しているのは、そのコラボをネットが加速してくれるかもしれないということだ。こんな開発手法は企業もまだ実現できていない。  ――そんな話を聴いて、我々はまた奮い立ったのだった。リップサービスとは思うが、一笑に付されるほど陳腐なことはしていなかったらしい。我々は主に技術者の集団だから、もっとクリエイターとの交流が必要だ。  我々はいまこのへんでうろうろしている。ひとつ参戦してやろうと思った人は「あの楽器 Wiki」を検索して、コミュニティに加わっていただきたい。